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「太陽を抱く月」でヨヌが送られる「活人署(ファリンソ)」の歴史は、「済衆院」へと続く朝鮮庶民の二大医療機関 [韓国・ドラマと歴史]

  ドラマ「太陽を抱く月」がいよいよ更におもしろさを増してきました。
でも来週はドラマとしての放送は休みなんですよね、そこで再来週から登場するという、ヨヌが送られてしまう「活人署(ファリンソ)」についてちょっとばかり予習しておくことにします。
  昨晩の放送では送られることにはなったものの、結局は途中から拉致されて引き返すことになってしまいましたが、その「活人署」は貧しい庶民にとっては大変に有り難い場所なのです、しかしその活動内容はとっても過酷な場所だったようです。
ただ、こういった機関があったればこそ、朝鮮の現代の医療施設へと繋がっていったという歴史も見えてきます。

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  李氏朝鮮時代になる前の高麗時代には、済危宝・東西大悲院・恵民局という三つの庶民救済の機関がありました。

  済危宝は、集められた資金を貸したりして増やし、それを貧しい者たちの病気治療などに充当させていたという公共団体のようなものだったらしいのですが、1391年の高麗滅亡と同じくして廃止されてしまったようです。

  しかし、時代が変わり支配者が変わった1392年以降の李氏朝鮮時代になっても、そのまま引き継ぐような形で、国王の目に見える民への恩恵のひとつとして、庶民の救済という目的のために活動が続けられていったのが、東西の「大悲院」と「恵民局」という二つの機関です。

  「恵民局(ヘミングク)」は、これは字ですぐに分かるかと思いますが、「チャングムの誓い」でもよく登場した「恵民署(ヘミンソ)」の前身で、伝染病の感染を防ぐというような活動や、貧しい人々の治療や薬を与えるというような活動をしていた医療機関です。
ただ、漢陽という地域限定のような感じで、その活動範囲には限界があったようです。

  そして、「恵民署」といえば「活人署(ファリンソ)」というくらいに、我々のような日本人でも対でよく耳にすることのある「活人署」、その前身になっていたのが東西の「大悲院」ということになります。
  こちらは貧しい人々を集めて薬や食べ物を与えるとともに治療も施すという、医療だけではなく救済をも兼ねたような活動をしていたようで、単なる医療施設的な存在の「恵民署」よりも、さらに幅広い活動目的の施設だったようです。
現代ならばホームレスのような貧しい人まで援助するという、医療と福祉を合体させたような機関だったと言えるかもしれません。
  また、疫病などが流行すれば臨時の隔離施設のような役割もして、患者の治療や看護はもとより、食品や衣料品·薬などを配給したり、また、死者が出たりすれば、その埋葬まで行っていたというのです。
この活動内容を知れば、なぜ「太陽を抱く月」で、ヨヌのような存在の女性が送られることになったのかが、ちょっとばかり垣間見えることと思います。

  こうして高麗時代からあった東西の「大悲院」が朝鮮時代になってもそのまま引き継がれたのですが、1414年ですから世宗の父王である太宗の時代ということになります、「東活人院」と「西活人院」という名称の個々の施設に改められます。

  そして、あの「王女の男」の世祖の時代である1466年になると、こうした東西別個の「活人院(ファリンウォン)」を、機能としては東西を統合させたひとつの同じ組織である「活人署(ファリンソ)」としました。
ただ、やはり庶民の間ではそんな機能的なことには関係なく、以前からの位置的な馴染みのある〝東西〟の名前がそのまま残り、東大門の外にあった活人署を「東活人署(ドンファリンソ)」、西小門の外側にあった活人署を「西活人署(ソファリンソ)」という、組織としてはひとつの「活人署」であっても、こうした二つの呼び名の「活人署」が誕生したということになるわけです。

東西の「活人署」跡に残されている碑(上が西活人署、下が東活人署)
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  こうして高麗時代から引き継がれてきた庶民の医療や救済を目的としたふたつの機関は、「活人署」と「恵民署」と名前は変えはしたものの、庶民の生活の「両医司」として存在してきたのですが、ドラマで言えば「トンイ」の頃、粛宗王の1709年になると、一方の「活人署」がかなり縮小されることになります。
そして、その粛宗とトンイの息子である英祖王の時代の1743年には、「活人署」は「恵民署」に統合されてその名を消すことになり、庶民の医療や救済は「恵民署」の名の元に全てが行われることになっていくのです。

  そしてその後は、ドラマで言えば「済衆院(チェジュンウォン)」で見てきたように、高宗王の時代1882年に「恵民署」は廃止されることになり、その活動は「済衆院」へと引き継がれていくことになります。
こうして西洋医学をも取り入れた、本格的な医療機関が誕生していったわけです。

  つまり、「活人署」と「恵民署」は、高麗時代から李氏朝鮮時代を経て「済衆院」へと続く、朝鮮の貧しい人々の医療や救済の礎であり、その歴史の橋渡しをしてきた医療機関であり施設だったのです。
そしてそれは更に、「済衆院」から「大韓赤十字病院」へという歴史へと繋がっていくのです。

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「根の深い木」の広平大君も(?) 世宗(セジョン)の身内を襲った〝天然痘〟の悲劇 [韓国・ドラマと歴史]

  ドラマ「根の深い木」で印象的な好青年として登場している「広平大君(クァンピョンテグン)、ネタバレもクソも、その彼がドラマの中で亡くなるのは殆どの方が既に知っていることではないかと思います。
歴史上19歳という若さでこの世を去っていますし、それが「訓民正音」が公布される前のことなのですから、そういう時期的な面ではドラマは史実と合致させての展開となっていることになります。
ただし、ドラマの中では密本(ミルボン)による暗殺ということですから、あまりにも史実を捻じ曲げているという意見もあったっていうことです。

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  広平大君が亡くなったのは1444年の12月7日、多分旧暦のことなのでしょうが、この「根の深い木」で広平大君の死の場面が放送されたのが12月7日ということで、韓国では話題になったのだそうです。
それはともかくとして、「訓民正音」の公布が1446年のことで、広平大君が亡くなったのはその二年前ということになりますから、ドラマは実際にその時期に亡くなった人物を上手に登場させて、しかもその命日にうまく幕引きをさせたという感じです。
意図してのことなのか偶然だったのか、その辺をもっと詳しく知りたいですよね、個人的には。
しかもこの広平大君は文武両道の好青年で、世宗自身が最も寵愛した息子だと言われますから、この人物をあえて登場させて、父である世宗を理解し尊敬する姿を描くことによって、よりリアルさを増したドラマ展開になっていた気がしています。

  ところで、この広平大君の死については、俗説が広まっているというのをご存知の方は多いかもしれません。
世宗(セジョン)がこの広平大君が幼い頃に、その身分を隠して占いをしてもらったところ、「若くして餓死する」という結果が出たそうで、世宗は半信半疑ながらも広平大君が将来食うに困らないように土地を与えたなんて言われています。
ところが、ある時に広平大君の咽喉に魚の骨が刺さってしまい、それが元で食べ物が咽喉を通らなくなって、結局は若くして餓死してしまうという、占いどおりの結果になってしまったなんていう話があるんだそうです。
  ドラマの密本の暗殺とこの俗説を比べたら、むしろドラマの上での創作として見れば、ドラマの方がずっと筋が通っているわけで、史実がどうのと騒ぐことでもない話だと思うんですが…、だったらこの通説となっている俗説のように、咽喉に魚の骨を刺して餓死させたら納得したんかいな(?)ってことですよね、まあね、どこにでもドラマは史実に忠実でなけりゃ嘘っぱちや!なんていう頭の固い方がみえるようです[たらーっ(汗)]

  こんな俗説の方が「そんなバカな!」って思いますよねえ(?)、そうなんですよ、そんなのは馬鹿げた俗説にすぎないわけで、当然のことながら本当の死因は別にあると言われています。

  世宗が国王の時代には天然痘が流行したと推測されているようです。
  ドラマ「大王世宗(テワンセジョン)をご覧になっていた方は、世宗夫妻の最初の子供である「貞昭公主(チョンソコンジュ)」、ドラマではジョンソ王女の死のシーンでもらい泣きされた方も多いのではないでしょうか?
かくいう自分もこのシーンでは大いに泣かされたくちです[もうやだ~(悲しい顔)]
ドラマでの死因は違うものでしたが、その最初の子供である長女の死因は天然痘だという説になっているようです。

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  ところが、世宗の子供が天然痘を患って亡くなったという説はこの長女だけではないのです。
その一人がこの「根の深い木」で父を理解し協力者となっている五男の「広平大君」です。
〝その一人〟と書きましたが、そうなんです、この〝天然痘〟の犠牲になったとされている世宗の子供は、まだ他にもいると言われています。
それが七男の「平原大君」です、兄の広平大君を追うように翌年の1445年に亡くなっていますが、この人も死因が〝天然痘〟だったとされているようです。
  しかし、世宗は息子だけではなく、すぐ下の弟である「誠寧大君(ソンニョンテグン)」も1418年に亡くしていて、この人の死因はハシカとされているものが多いのですが、やはり〝天然痘〟だったという説があるようです。

  もしこれらが事実であれば、世宗は実の弟や長女、そして大事な息子二人を立て続けに〝天然痘〟で亡くしていることになります。
まさに世宗の公私ともに襲った〝天然痘の悲劇〟だったのかもしれません。
こんな頃どころか、ドラマ「済衆院(チェジュンウォン)」の時代でさえ、気色の悪い化粧をした連中が「マーマを追い払え!」なんてジャンジャラやって踊るくらいしかできなかったのですから、不治の病としての犠牲者はきっと多数にのぼったことなのでしょう。

  ところで、広平大君の最期のシーンはまだ先ですが、このシーンは本当に泣けます。
史実がどうのこうのなんていう無粋な話は無しにして、ハン・ソッキュを始めとした演技に入り込んで、素直に大量の涙を流しながら見てくださいねー!
  そうそう、忘れちゃいけないのが「大王世宗」、今度はノーカット版でやさしく健気なジョンソ王女のシーンを見て、これまた大泣きしちゃってくださーい!でもまだまだかなり先だよね[たらーっ(汗)]

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ドラマから見る朝鮮国王さんの色々ランキング、朝鮮時代のほぼ5分の1は「トンイ」の夫と息子の時代(?) [韓国・ドラマと歴史]

  李氏朝鮮時代、言わずと知れた1392年から1910年までもの長きに渡って続いた王朝ですから、いろんな歴史があるのも当然です。

  最近に放送されているドラマ「根の深い木」で登場している、広平大君を少し調べてましたら、どうやらこの王子は1425年 ~ 1444年の生涯だということで、19歳、数えでは20歳で亡くなっているようです。
このブログを書いてきて、なんだか19歳で死んでいるというのを何度も書いてきているような気がする、もしかしたら19歳というのは、朝鮮王朝のひとつの鬼門のような年齢のような気がする…ということで、19歳で死んでいる王子を探してみようかと思った。
  ところが、この長い歴史を持つ王朝ですから王子の人数といったらとんでもなく多い。
生まれや没年が分かっている人もいれば、まったく歴史の中に埋もれてしまっていて、その存在はかろうじて分かっているものの、そんな生まれや死んだ年まで分かんねえっていう人までいーーーっぱいごじゃっしゃるわけで、いっくら物好きなおいらでもそこまで調べる暇はござんせんということで、急遽方向転換させていただいて、朝鮮王朝のあれこれナンバーワンお茶を濁すことにしました[わーい(嬉しい顔)]

  では、まあ定番の長寿ナンバーワンはと言えば、これは知っている人も多いでしょうっていうか、自分も昔の記事で少し書いているような気もしないではない。
われらが(?)「トンイ」の息子、英祖(ヨンジョ)王ですよねえ、1694~1776ということで82年というのが最も長い。
意外にこの朝鮮王朝の王様たちはこじんまり(?)生きられた方が多いようで、今や驚かないどころか平均寿命に近いような年齢がダントツの1位で、2位はと言えば太祖、いわゆる初代の李成桂(イ・ソンゲ)の73歳と大きく下回ってしまって唯一の70代になってしまいます。

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  それでは反対に最も短命の国王さんはと言いますと、これももうご存知のように、「王女の男」の悲劇の少年王「端宗(タンジョン)」で、1441~1457の16歳ということになりますんです。

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  では国王としての在位期間はどうでしょう、ったって、長生きすりゃ在位も長いとなってこちらも「英祖王」がトップに輝いています、1724~1776年というなんと52年ものあいだ国王さんを務めていたということになります。
そして、第2位がこの英祖のお父ちゃんと言えば、「トンイ」の王様である「粛宗(スクチョン)王」の46年ということになって1・2位を独占、なんとまあ、ドラマ「トンイ」関係のお二人で98年もおさめていたことになるんですよ!
その間に禧嬪張氏の息子の「景宗(キョンジョン)」がいますが、禧嬪さんが亡き後はトンイの息子も同じって考えれば、518年ほどの朝鮮時代の100年ちょいはトンイの夫と息子の時代ってことで、こうして年数にして考えると粛宗親子の時代の長さは突出していますよねえ!

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  その反対で最短の在位と言えば、これも韓国時代劇が好きな方ならご存知の方も多いでしょうが、こちらはドラマでいえば「チャングムの誓い」「女人天下」に登場してきた「仁宗(インジョン)王」のなんと8ヶ月。
正式には1544年11月20日に即位1545年8月7日に亡くなっているので、8ヶ月と17日になっています。
  「チャングムの誓い」の王様は「中宗(チュンジョン)王」じゃん、そんな王様が出ていた?と思われるかもしれませんが、その中宗の息子で、チャングムをかわいがった王妃の継子の東宮です、ドラマの中で王妃がチャングムに殺してくれと暗にせまったことがありましたよねえ、あの体の弱かった東宮がそうなんですよ。

  それでは次に、子だくさんのナンバーワンは、これもドラマがらみです、「根の深い木」「大王世宗」でお馴染みの「太宗(テジョン)王」、つまり世宗(セジョン)が反面教師にした父親です。
この王様は55歳で亡くなっているのですが、ご婦人が10人いらっしゃいまして、その子供が12男17女の総勢29人もいるんです、55年で29人ってタフすぎるやろ(笑)、しょっちゅう子作りをしてたってことですよねえ(笑)
そして同じくトップタイに16男13女の成宗(ソンジョン)がいます、ドラマにはこと欠かない仁粋大妃の息子、廃妃尹氏(ヘビユンシ)の夫である国王さんですね。
こちらなんて37歳の生涯で29人ですからもっと凄い!短い人生の大半を子作りに励んでらっしゃったんですねえ[ちっ(怒った顔)]
そんなわけで、兄弟の数がナンバーワンなのも世宗大王のご兄弟と燕山君や中宗のご兄弟いうことに相成ります。

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  でもねえ、王様たるもの国の礎たる男の子をつくらにゃならんわい、というわけで、男の子をつくりにつくって18人というのが、「根の深い木」で注目の「世宗(セジョン)王」で18男4女、でも「王女の男」で見てきたように、兄弟によって殺されたお方も多いんですよねえ[たらーっ(汗)]
総勢18人を挙げておきます。
文宗、世祖(首陽大君)、安平(アンピョン)大君、 臨灜(イミョン)大君、広平(クァンピョン)大君、錦城(クムソン)大君、ここまではドラマで聞いたことがありそうです。
この下に平原大君、永膺大君、和義君、桂陽君、義昌君、漢南君、 密城君、寿春君、翼峴君、永豊君、寧海君、潭陽君と続きまして、 桂陽(ケヤン)君なんて人はあの仁粋大妃の義兄になってたりします。

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  ついでに、2位が二代目国王の「定宗(チョンジョン)王」の17人、でも弟の太宗に政権を奪われていますから、この17人の男の子は誰も世継ぎにはなっていないし、3位の16人という「王と妃」や「王と私」で登場した仁粋大妃の息子の「成宗(ソンジョン)王」、そして4位で14人の、ドラマで言えば「ホジュン 宮廷医官への道」の頃の「宣祖(ソンジョ)王」にしても、後に燕山君や光海君というお家騒動となっていますから、男の子を多くつくりすぎても…なんだかなあ…っていうことで、何事もほどほどがよろしいようで[手(チョキ)]

  ちなみに、お妃さんや側室を合わせた御夫人の数では、成宗が13人・中宗が12人と父子が並んでます(下記※)、中宗なんてチャングムにまで手を出したくなるわけです(笑)
仁粋大妃の息子の成宗は婦人がこのように13人でトップ、子供もトップタイの29人ともなれば、廃妃尹氏(ヘビユンシ)やら燕山君(ヨンサングン)やら、ドラマの側室どうしの確執やお世継ぎ問題で揺らいだのもなんとなく理解できようってもんです[あせあせ(飛び散る汗)]

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  そんな何人も夫人を持つのが多い国王の世界にあって、たった1人の妃のみで1男3女という理想的な子供を授かったのが18代国王の「顕宗(ヒョンジョン)王」、あの「粛宗王」のお父さんです、33年の生涯で15年の在位という中でのことですから珍しく堅実ですよねえ。
そんな夫の女関係では煩わされなかったものの、息子の嫁問題で有名になっちゃったっていうのが、ドラマでのこんな人たちってわけです。

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  ※ 子供の人数はWikipedia(ウィキペディア)を中心にした記録での、ほぼ分かっている限りの人数で記事にしています、婦人は称号の無い人物を含めると大きく変わります

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「根の深い木」での世宗(セジョン)の若き協力者は〝死六臣〟として惨死していた [韓国・ドラマと歴史]

  火曜日の「根の深い木」も佳境に入ってきたような(?)、でもこの放送枠だけのドラマを見ていると、なんだか分かったような分からないような、不自然なカットが多すぎて、この番組だけを視聴している方にとっては、どうも中途半端な入り込み方しかできないでいるんではないでしょうか?

  ところで、この「根の深い木」の中では、ちょっとばかり異質なキャラの持ち主として登場しているのが「成 三問(ソン・サムムン)」という若い協力者です。
爽やかな雰囲気とともに少しオチャラケ系で、このドラマの中では目立っている存在です。

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  この「成 三問」と聞いて、自分の脳裏に最初に浮かんだのが「王女の男」です。
昨年の11月に「王女の男」に関連して〝死六臣〟をご紹介しました。
「王女の男」のドラマ自体には重要な登場はしていなかった人物なので、あまりこの名前に印象は残っていない方が多いかもしれませんが、自分はこの〝死六臣〟のことを書いていたこともあって、「成 三問」=「死六臣」というイメージで真っ先に繋がったというわけです。

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  つまり、「根の深い木」では明るいキャラの若き世宗(セジョン)の協力者である「成 三問」は、端宗(タンジョン)の復位運動の中心人物として、史実ではむごい最期を迎えていた〝死六臣〟の一人だったのです。
そんな処刑という形の死を迎えることになる「成 三問(ソン・サムムン)」ですが、若かりし頃はこの「根の深い木」で描かれているように、世宗の大きな功績のひとつとなった訓民正音、ハングルの誕生には無くてはならない存在として活躍した人物です。
また同様に、この「根の深い木」の中で、成 三問(ソン・サムムン)の相棒のような仲間として登場している「朴 彭年(パク・ペンニョン)」も、やはり〝死六臣〟の一人としての最期を迎えている人物です。
  「死六臣」の過去記事 http://hanlove-8.blog.so-net.ne.jp/2012-11-23

  そしておもしろいのが、その訓民正音の誕生するまで同じように協力した同年代の重要な人物の一人に「申 叔舟(シン・スクチュ)」もいるのです。
「王女の男」の中では、裏切り者として世祖(セジョ)についた「申 叔舟」、反対に端宗を復位させるために尽力し命を落とした「成 三問」と「朴 彭年」
最後は悲しい相反する形にはなってしまったものの、若かりし頃は世宗の力となって共に訓民正音への情熱を燃やしていた同じ若き世代の三人だったのです。
「根の深い木」では、そんな仲間であった申 叔舟(シン・スクチュ)を協力者の一人として登場させていないのが、後の歴史から見てあえてそうしたのか(?)、なんていうことで少し気になった自分です。
だけど、訓民正音創製のメンバーで、後に世祖側についた鄭 麟趾(チョン・インジ)は、ちゃんと上司の大提学として登場しているし、特別な深い理由は無いのかも(?)しれないですが、同じような時期に製作されたSBSとKBSのドラマ、申 叔舟は片や悪役で片や省略、ドラマにするには複雑な立場の人物のようではあるようです[たらーっ(汗)]
なんにしても、下の画像の隣には申 叔舟はいませんが、こんな感じで仲のいい世宗の若き協力者として、申 叔舟の姿もあったことでしょう。
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  ところで、BS11で「大王世宗(テワンセジョン)」がノーカットで始まりましたよねえ、この時を待っていました。
やっぱりこういった歴史的な厚みのあるドラマは、ノーカットで見てみたいものだと思っていましたから。
長いドラマだしまだまだ始まったばかりですから、世宗大王やこの時代背景に興味を持った方はぜひとも視聴してみてください。
終盤にはもちろん、訓民正音、ハングル創製の苦労やらも描かれていますし、「王女の男」の金宗瑞(キム・ジョンソ)だの申 叔舟(シン・スクチュ)だの、もちろんこの成 三問(ソン・サムムン)をはじめとした「根の深い木」での共通した人物も多く登場しますから、こういった時代の総括的なドラマとして見てみると、その繋がりが分かりやすくなると思います。
  そして、成 三問や朴 彭年と申 叔舟という、世宗に協力した若い立役者の行く末は、「王女の男」のような結末だったんだなあ、なんて思いながら見てみるのもおもしろいかもしれませんよね。
何よりも、「根の深い木」の本来なら始まりの部分、世宗の妻の昭憲(ソホン)王后の父親であり、カン・チェユンたちの主人であった沈温(シム・オン)の事件や、そのために苦悩する世宗の姿を、改めて理解するにもいいかもしれません。

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    http://www.bs11.jp/drama/2087/
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「太陽を抱く月」の時代背景は、「王と私」や「王と妃」と同じ頃の時代?…かも? [韓国・ドラマと歴史]

  ドラマ「太陽を抱く月」はまったくの架空の世界で、時代背景もいつの時代のものかは分からないドラマだと言われます。
だけど、架空のドラマとはいえ、四次元の世界でもなきゃいずれかの時代のドラマです、しかも朝鮮時代と限定されているのですから、周囲を取り巻く環境やら登場してくる機関などから、自分なりに想像してみることはできます。
  ですから、あくまでも自分勝手に推測して、想像の世界をふくらませていくという、そんな楽しみ方もまたアリなのではないかと思うんですよね。
そんなわけで、ドラマを見ていく上での自分なりの楽しみ方のひとつとして、自分なりの空想の時代背景を描き出してみました。
そうして自分が行き着いたのが、李氏朝鮮時代の中のある時代だったのです。

  もうこれは〝自分の自分による自分のための世界〟という、だーれかさんの有名なお言葉のような世界を紹介していきたいと思います[わーい(嬉しい顔)]

  記憶にもまだ新しい先週の放送分、第4話にこんな会話が出てきましたが覚えてますか?
大妃(テビ)が星宿庁(ソンスチョン)の国巫(クンム)であるチャン・ノギョンを、迫力あるお顔で脅しとりましたですよねえ、こんなことを言って、
  「そなたよもや忘れてはいまいな、儒学者たちの廃止の意見が相次ぎ、今や存続の危機にあるということを」
星宿庁が儒学者たちの廃止意見で存続も危ないから、私の力が必要だろうってことで、チャン・ノギョンを従わせようとするシーンです。

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  実際に朝鮮王朝の歴史の中に、この星宿庁が埋もれていってしまったのは、儒学の国であるが故だと言われています。
そして、各時代の国王ごとにその歴史がまとめられている「朝鮮王朝実録」の記述の中で、この「星宿庁」の名前とともに、そういった廃止云々が最も多く取りざたされている時代があります。
それが第9代国王である成宗(ソンジョン)の時代です。

  成宗(ソンジョン)と言えば、あの有名な仁粋大妃(インステビ)の息子であり、廃妃ユン氏の夫であり、悪名高き燕山君(ヨンサングン)の父親であるお方、もうひとつおまけにチャングムの中宗(チュンジョン)の父親でもありますよね。
この成宗の時代の「朝鮮王朝実録」に、「星宿庁」のあり方についての記述が最も多く見られ、その息子である中宗が即位してすぐの記述を最後に、「星宿庁」の名前がこの歴史書の記述の中に見られなくなったそうです。
  そんなことから、成宗の時代に「星宿庁」の廃止が活発に叫ばれ、中宗の時代に廃止へと追い込まれ歴史の中から消えていったという見方になっているようです。


  そして、ドラマとしてはまだ先のことになりますが、ドラマの終盤で登場してくる朝鮮時代独特の機関に 「活人署(ファリンソ)」があります。
「チャングムの誓い」で「恵民署(ヘミンソ)」とともによく出てきていました。
  ドラマに出てくる頃にまた改めて書きますが、この「活人署(ファリンソ)」という貧民救済の施設は、以前は違う名前で呼ばれていたのですが、1466年にこの名前に改められました。
その1466年に東西の「活人院(ファリンウォン)」をひとつの「活人署」と改めたのが、あの以前のドラマ「王女の男」の国王である世祖(セジョ)なんだそうです。

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  そんな二つの李氏朝鮮時代の機関の背景から、自分はこの「太陽を抱く月」というドラマは、「王女の男」の世祖の時代以降、「チャングムの誓い」の中宗の時代以前という仮説を立ててみました。
そうするとその間にあるのは睿宗(イェジョン)と、成宗(ソンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の時代です。
  でも睿宗さんは在位が1年そこそこの19歳で死んでいますし、燕山君はへそ曲がりで「星宿庁」擁護派だったなんていう見方もあるようですから、もう絞られる時代背景は「成宗(ソンジョン)」の時代ということになってきてしまいます。

  「太陽を抱く月」の国王が成祖(ソンジョ)ですから、名前も似てますよねえ(笑)
そしてその母親が仁粋大妃を彷彿とさせる気がしなくもないし、「王と妃」の成宗母子の関係に似てなくもない。

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  でもそうなると、世子のイ・フォンが燕山君か中宗ってことになっちゃいますから、そりゃ可愛そうすぎますよねえ(?)
一人は暴君、もう一人は優柔不断な国王として有名なんですから(笑)
あくまで、〝自分の自分による自分のための世界〟であり、史実と重なる部分だけを見て、自分なりに導き出した仮説の時代背景です。
  でもこうやって架空のドラマでも、登場する背景を見ながら、いろんな想像をしたり仮説を立ててみたりするのも面白いものです、これも創作であり架空のドラマだという、時代が特定されていないドラマだからこその楽しみ方だと思います。

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